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青森ツーレポ(7)津軽半島(1)2013年05月01日

さて、ようやく弘前観光を終え、津軽半島周回して青森市まで向かうルートを進むことにします。
弘前から十三湖までは、津軽中部広域農道屏風山広域農道を使い、その後は国道339号一本です。
  ↓

同じ方面へ行くのに、国道と広域農道があるのなら、私は迷わず広域農道をチョイスします。
国道よりも交通量が少なく、景色がいい場合が多いからです。

今回の津軽中部広域農道も例外ではありませんでした。
 ↓

広大なりんご畑を突っ走っていきます。
弘前市内で遭遇した雨はすでにありませんでしたが、行く手には不気味な厚い雲が広がっていました。
お陰で、岩木山麓を走っているのに、雄大な岩木山はほとんど見えなかった。

ただでさえ寒いというのに、さらに北上していくなんて、ライダー的には結構勇気のいることです。
しかし、日程を考えると、このタイミングで津軽半島を周回せねばならぬ状況なのでありました。


りんご畑を抜け、続く湿地帯を抜けると、十三湖に着きます。
先を急ぎたいところでしたが、ちょうど「しじみラーメン」の看板があったので、
暖を取るのも兼ねて食べていくことにしました。
十三湖は淡水と海水が入り交じるところで、しじみの生育環境に適しているのだそうです。

いくつか店がならんでいます。
 ↓

このうち、しじみラーメンの店は2軒が隣り合っていました。
片方はお姉ちゃん、もう片方はおばちゃんの姿が見えます。
それが世の理(ことわり)であるかのごとく、本能の趣くままに、お姉ちゃんの店に入ることにしました。

バイクを停め、ヘルメットを脱ぎ、グローブを外していると、
背後からおばちゃんがツツツーと近寄ってきて、

「寒かったっしょ?」


と声を掛けてきます。
そのまま受け答えをしているうちに、自然とおばちゃんの店に入る流れができてしまいました。。

これが年の功というものか。。おばちゃんの巧みな戦術にお姉ちゃんはなす術もないようでございました。
しかし、おばちゃんの店に入ったことは、私に大収穫をもたらしたのであります。

おばちゃんが「寒かったっしょ?」というのも当たり前です。店に入るとストーブが焚かれていました。
ここ津軽は、今、冬なのであります。
店内には他の客はいません。おばちゃんとの会話は店内でも続きました。

その話の中で、私が結構歴史スポットを好んで巡っていることを話すと、

「この辺はそういうお客さんも結構来るよ。」

とおばちゃんは言います。十三湖近辺には遺跡がたくさんあるのだそうです。

「昔、大きな町がここにあったけど、津波で壊滅したんだって。」


とおばちゃんは続けます。
でもそれ以上の詳しいことは知らないらしく、代わりに五所川原教育委員会発行の「十三湊ガイドブック」という
非売品の冊子を見せてくれました。

これがその冊子。(自宅で撮影)
 ↓

ラーメンを食べながら読んだその冊子には、13~15世紀にこの地に存在した十三湊(とさみなと)という港湾都市の遺跡発掘調査の結果と解説が写真入りで記されていました。遺跡は港湾施設や城郭や寺院の跡らしいです。

夢中で読んでいると、おばちゃんはその冊子を「持ってっていいよ」と言ってくれました。

 自分「えっ!?ほんとにいいんですかっ!?」
 おば「私持っててもわかんないしねぇ。。」
 自分「ありがとうございますぅぅぅぅ!!」


おまけにそのおばちゃんは、食後のコーヒーまでサービスしてくれたのでした。。
あぁ、ありがとう、おばちゃん。。。0コンマ000何秒かだけ、おばちゃんが女神に見えました。

↓この人がその女神様。

女神「いやー、写るんだったらもうちょっとメリケンコ付けといたのにぃ。。」

あの。。メリケンコって。。。えーっと。。小麦粉??


たまたま寄った十三湖で思わぬ歴史の拾い物をしました。
ここは、かつて3津7湊と呼ばれた日本の代表的港湾だったそうです。

たしかに地図をよくみると、今は湖となってますが、昔は海だったと言われてもうなづけます。
 ↓

その日本の代表的港湾が、今のように衰退したのは、
津波ではなく、堆積による港湾機能の低下と、領主・安東氏南部氏が滅ぼしてしまったことによるらしいです。


十三湖では貴重な収穫があった分、ずいぶん時間を消費してしまいました。。
おばちゃんに別れを告げ、竜飛岬に向け北上を続けます。

ほどなく姿を現したのが、十三湊ガイドブックに記載されていた神秘の山。(もや)です。
 ↓これ。

岩木山と高さを競って負けたという伝説があります。古来から神霊の宿る山として崇拝されてきたそうです。
標高152m。対する岩木山は標高1,625m。おいおい、ボロ負けやがな。。。


北上するにつれて、徐々に荒涼感が増してきます。
↓これを見ると、普段から相当風が強い地域らしいですね。


さらに北上し、ようやく竜飛岬が視界に入ってきました。(赤矢印付近)
 ↓

この辺りから青空が広がって、いい天気になってきました。

竜飛岬側から見るとこんな感じ↓

適度なワインディングが続く海岸道路。ライダー好みのルートです。
でも気温は4℃。冷蔵庫の中にいるのと一緒。


↓竜飛灯台に到着です。

この駐車場に隣接して、「津軽海峡冬景色」の歌碑が建っていました。
 ↓

手前中央の赤いボタンを押すと、石川さゆりのオリジナル曲が流れます。

この歌碑がここに建っている理由はご存知ですね?
二番の歌詞『ご覧、あれが竜飛岬、北のはずれと~』があるからです。
確かに、この歌で竜飛岬は一躍全国に知られるようになりました。

しかし!

竜飛岬は北のはずれではありません。北のはずれは明らかに下北半島の大間崎です。

この歌の舞台は青函連絡船のデッキかと思われます。
一番上に示した地図に青函連絡船の航路を書いておきましたが、
青函連絡船から北のはずれ大間崎も見えるはずなのです。

ひょっとして、字数が合わないから採用されなかったのか??
大間崎だと字足らずですが、仮にこれが「大間岬」だったら、
『ご覧、あれが大間岬、北のはずれと~』。。ぴったりハマります。
そうなると、この歌碑は今頃下北半島にあったかもしれません。

まぁただ、大間崎は函館までのフェリーが出てますので、そこそこ賑わいがありますし、
青函フェリーから、函館フェリーの港を指差しても、たいして絵にはなりません。
やはり、竜飛岬の方が “北のはずれ” っぽい雰囲気を備えているのは事実でございます。
きっと、故阿久悠氏はこの地を訪れていて、この荒涼感を知っていたのでありましょう。

そんなことを思いながら、私は赤いボタンを押すのでした。

竜飛岬には別に歌碑を見に来たわけではありません。
次回は竜飛岬を訪れた理由について記したいと思います。


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