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青森ツーレポ(19)帰路2013年05月04日

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さて、いよいよ帰路に着かねばなりません。
なにせ、まだこんなところ↓にいるんです。仙台よりはるかに北。。

江刺を離れ、東北道をひたすら南下します。
天気は快晴
最終日になって、ようやく天気を気にしないで済みそうです。

帰りの東北道はいつも長く長く感じます。
いくら走っても関東が近付いてこない気がします。。。

途中、立ち寄ったPAでの一枚↓

バイク置き場から溢れたバイクがずらり。半分以上がハーレーです。
さすがにこれだけハーレーが並ぶと、我が愛車も可愛く見えます。(一番奥ね。)
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さて、福島市の少し北にある国見PAに寄った時、レストランの裏に展望台らしきものがあるというので
行ってみたら、↓こんなものがありました。

「日本三大合戦のひとつ、奥州合戦」と書いてあります。

あと二つは、関ヶ原の合戦戊辰の役だそうです。
へぇぇぇ。そーなのかー。。ひょんなところで、また知らない知識が増えました。

一応、実際の場所を写しておきます↓

ここで824年前に合戦がありました。奥州藤原氏源頼朝軍が戦ったところです。
この合戦で源頼朝軍が勝ち、藤原氏は滅亡しました。

結局、平泉の栄華は、藤原4代、約100年で幕を閉じることになります。
そしてこの3年後に鎌倉幕府が成立しました。

同時にこの合戦で戦功のあった武将が伊達家を興します。
これが後の仙台藩主・伊達正宗に繋がるわけです。←くどいようですが、米沢の嫌われ者。
しかし、日本史っていろんなところで繋がってますねぇ。

と、ここまでは現地でわかりました。
しかし、家に帰ってから調べてみると、日本の三大合戦は、

関ヶ原の合戦
戊辰の役奥州合戦

ではなく、

関ヶ原の合戦川中島合戦筑後川の合戦

の三つだという意見が多いようです。どっちが正しいんでしょう?

気になるので調べました。
合戦の規模は軍勢の数で決まります。有名な戦の軍勢は次のとおり。

関ヶ原の合戦:東軍72,000+西群84,000     =15万6,000
筑後川の合戦:南朝軍40,000+北朝軍60,000   =10万
奥州合戦:藤原軍20,000+源頼朝軍25,000    =4万5,000
長篠の戦い:織田徳川連合軍38,000+武田軍15,000=4万3,000
川中島合戦:武田軍20,000+上杉軍18,000    =3万8,000
鳥羽伏見の戦い(戊辰の役):新政府軍5,000+幕府軍15,000=2万
 ※戊辰の役は小さい戦いが連なってます。その最大のものが鳥羽伏見の戦い。

こうしてみると、日本の三大合戦は、

関ヶ原の合戦・筑後川の合戦・奥州合戦

の三つが正しいと言えましょう。
奥州合戦はぎりぎり3位にランクインしてるので、あの案内板は、戊辰の役は間違ってるものの、
奥州合戦についてはウソとは言えない。というのが結論です。

ちなみに、総軍勢でみれば日本戦国史上最大の戦は、大坂夏の陣で、豊臣軍5万+徳川軍15万の総勢20万です。
ただ、大坂城を中心とした都会で行われているので、野原でガチンコ勝負した他の戦とは別に扱われてるのかもしれません。
大坂夏の陣を加えれば、奥州合戦は日本三大合戦の地位から陥落します。
奥州を見てきた身としては、奥州合戦はぜひ三大合戦の一つに数えていただきたいですね。


さて、これで旅のエピソードは終わりです。この後はひたすら東北道を南下し、
北関東自動車道、関越道を経由して、午後11時に川越ICに到着します。
 ↓

今回の青森ツーリングは、天候に恵まれず、かつ極端な低温と右足の痛みに耐えながらの
過酷な旅となりましたが、現地に行かねばわからないようなことが多く、非常に有意義でした。
ま、ハイリスク・ハイリターンとでもいいましょうか。。

じゃ、も一回経験するか? と問われれば、イヤです。
やっぱり青空の下を爽快に走らせていただきたかったです。
キリストはんの与え給う試練が次のツーリングにまで及ばないことを祈りつつレポートを終えます。

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青森ツーレポ 

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