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青森ツーレポ(9)三内丸山遺跡(1)2013年05月02日

2013年5月2日(木)

朝起きると、相変わらずの寒さながらも、青森市内は雨は降っていませんでした。

あおもり健康ランドを出発し、とりあえず青函フェリーの埠頭へ向かいます。
鉄道連絡船としての青函連絡船は1988年に廃止されましたが、その後は民間会社運営のフェリーが運航されています。
19年前、東北を訪れた時は、北海道ツーリングでカットしてしまった函館を見るために、
大間崎から津軽海峡フェリーで函館に渡り、帰りは青函フェリーでこの青森港に戻ってきました。


GWだというのに閑散としてましたね。。つーか、暦では平日だからやむなしか。。


さて、いよいよ日本最大の縄文遺跡、三内丸山遺跡へ向かいます。
約5000年前の古代遺跡だそうです。

私が初めて東北ツーリングで青森市を訪れたのは1994年8月17日でした。
三内丸山遺跡から巨大建築跡が見つかったのは、その前の月の7月15日
現地説明会が開催されたのは、8月7日でした。
まさに三内丸山遺跡が一番注目されていたその時期に、私は青森にいたのでした。

しかし、その時はスルーしてしまいました。当時のメモにしっかり書き込んでいるので、
興味がないわけではなかったでしょうけど、なぜかスルーしています。
その理由までは書き残してはいませんでしたが、おそらく場所がわからなかったんでしょう。
その年のツーリングマップには載っていませんからね、三内丸山遺跡は。。
今なら情報端末ですぐ探せますけど、当時はマップ以外に頼るものはなかった時代です。

そういう過去もあったので、三内丸山遺跡は今回のツーリングの目玉に据えていました。
場所は、新幹線の新青森駅のすぐ近く。青森ICを降りてすぐ。
意外なほど青森市街から近い位置にありました。
 ↓

新幹線の車内からも遺跡が見えるんだそうです。

あれから19年経ち、立派な見学施設が建てられていました。
時遊館といいます↓

↓入場すると、いきなり巨大な縄文土器が迎えてくれます。

といっても、これは記念撮影用で、裏側はベニヤ丸見えです。 

↓これが遺跡の全景です。

中央に見えるビル(矢印)は、遺跡に隣接する青森運転免許センター
古代浪漫をぶち壊す、この上なく邪魔な建物です。。

↓これが三内丸山遺跡を世に知らしめた巨大建築物。

縄文時代にこれだけ大きな建築物が存在していた証拠は
19年前まで見つかっていませんでした。

↓中にも入れます。

共同作業所か集会所だったのではないかと推測されているそうです。

↓これは三内丸山遺跡のシンボル的な存在。

発掘されたのは6本の柱跡ですが、そこから建物を復元したもの。
屋根が付いていませんが、屋根の構造については諸説あるため、結論が出るまでつけないそうです。
よって、この復元は未完成。不確かなままでは復元しないという姿勢が潔くて素敵です。

これらの巨大建築物の柱の間隔は必ず35cmの倍数になっています。これを縄文尺というんですって。

柱跡には直径85cmのクリの木の柱が見つかっているので、その直径だとこの高さになるそうです。
高さは20m。高層建築ということになりますね。
現在、こんな大きなクリの木は日本では手に入らないので、ロシアから輸入したそうです。

当時、ここは県営野球場の建設予定地で、内野の観客席の一部がすでに建設されておりました。
この柱跡の発見で建設は中止となり、今は別の場所に立派な県営球場が完成しています。


今まで、縄文人というのはかなり文明度が低くて、石器時代に毛の生えた程度のイメージでしたが、
三内丸山遺跡を見学していると、これまでの縄文時代のイメージが払拭されます。
展示されていた数々の道具類からもそれを感じますが、それは次回に回すとして、
今回は、建物のバリエーションをみてみましょう。

↓これは我々の教科書では古墳時代あたりで出て来た、高床式建物。

すでに縄文時代からあったんですね。。ただし、住居なのか倉庫なのかは不明とのこと。
高床式だったとなぜわかるのか?
不思議だったんですが、床材も一緒に出土したからなんですね。なるほど~。。


↓これは結構スタンダードな竪穴式

内部の中央には炉があるので、これは住居だったんでしょう。

↓これも竪穴式ですが、茅葺きではなく、土をかぶせたタイプ。

遺構から茅が出てこなかったので、土タイプもあったと類推されるのでしょう。
基地にして遊びたい衝動に駆られますな。。←小学生かいっ!

ちなみに冬に炉で火を炊くと、室温は20℃くらいになるそうです。快適じゃないですか。

↓えーっと、これは。。

「縄文の家づくり体験 三内西小学校四年生」と書いてあります。
特別史跡の中にこんなもん建てるなよな、紛らわしい。自分とこの校庭に作れよ。。


復元したものの他に、遺構をそのまま保存してある箇所もいくつかありました。
 ↓

ドームで覆って、ちゃんと温湿度管理までしていました。

ということで、外は終わり。
次回は館の中で展示されていたものを中心に。


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