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旧陸軍桶川飛行学校(2) ― 2015年11月29日
震度5にも耐えた築80年の木造舎
守衛所、車庫と軽くジャブをかました後で、いよいよ一番大きな建物へ向かいます。
初めはこれが校舎だと思っていましたが、実際には宿舎でした。校舎は宿舎の裏側にあったようですが、すでに跡形もなくなっていました。
↓バイクは宿舎の真ん前に停めさせていただきました。
守衛所、車庫と軽くジャブをかました後で、いよいよ一番大きな建物へ向かいます。
初めはこれが校舎だと思っていましたが、実際には宿舎でした。校舎は宿舎の裏側にあったようですが、すでに跡形もなくなっていました。
↓バイクは宿舎の真ん前に停めさせていただきました。
来月(2016年1月)公開の映画「空人」(くうじん)で撮影に使われています。
特攻隊が編成された頃は、この宿舎は築9年ほどだったはずですが、それを築80年弱のままで撮影したわけですね。
70年の時代のズレはあれど、やはり本物を使う重みは違います。
「空人」公式サイトはこちら → http://kuujin.jp/
「空人」予告編はこちら → https://youtu.be/GCxUGOKVZZE
↓宿舎入口です。
入館は無料です。ここで来館名簿に記入します。
壁には来館者数が貼り出してありました。
2008年度 1,334人
2010年度 2,275人
2013年度 3,070人
2014年度 4,326人
そして、今年度が11月までで4,190人だそうです。来場者が激増していますね。
関心は年々高まっているというのに、実情はこれ↓なのです。
ここに至る経緯を学習した範囲で書きますと、まず開校が1936年。
正式名称は写真にあったように「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場」ですが、通称「桶川飛行学校」と呼ばれます。
約1600人の生徒がここで飛行技術を学んだそうです。生徒は満14歳から17歳未満の少年たちでした。
ちなみに陸軍飛行学校は所沢にもありましたが、熊谷が操縦、所沢が整備と教育内容が異なっていたそうです。
終戦間際には飛行学校の機能は札幌に移管され、桶川は悲しくも特攻隊の訓練基地となります。
そして、11人が知覧を経由して散華されました。
戦後は市営住宅として利用され、帰還兵や引揚者らが住んでいたそうです。一部の方は2007年まで住んでたんですって。
その最後の住人の方が転出したため、建物を取り壊して更地にして国に返還することになりました。
そこで1万数千人の署名が集まるんですね。桶川市がそれに応え、2010年に市が国から土地を買い上げ、2012年から活用方法の検討が始まります。
そして、検討委員会のまとめた提言が、
「できるだけ公園的整備を図り、現状を保存することが望ましい」でした。検討委 Good Job!
このような背景があって、この度の一般公開中止となったわけです。
現地で聞いた話によると、この後埼玉県の “ものつくり大学” が調査に入るとのことでした。
その調査結果次第で、修復か解体復元かが決まるのでしょう。
とりあえず、今回の公開中止は決して後ろ向きな姿勢で決められたことではなかったのでした。上のイメージ図のような姿で復活してくれることを祈りましょう。
さて、それでは見学レポートを続けます。
↓これが廊下です。左側に部屋が並んでいます。
内部は資料が展示されており、当時の様子が学習できます。結構じっくりと読んでる人が多かったです。
この部屋は床だけが当時と違っています。
↓こうなってます。
戦後、ここが住宅に転用された時に床を上げて、畳を敷いたんだそうです。
・・ということは、当時は畳じゃなかったんですね。宿舎だから二段ベッドが並んでたんでしょう。
↓隣の部屋では、DVDが視聴できるようになっていました。
↓そのまた隣にも資料展示は続きます。
これを見ると、通信部門の学校は水戸にあったことがわかりますね。
このさらに隣の部屋には、模型が並んでいました。
そして一番端の部屋が↓これです。
80年の歲月のなせる業かな・・という感じがしますが、広さや戸があるところをみると、ここは倉庫か何かだったのかも知れません。
↓外に出て、裏側から。
この敷地にかつて校舎がありました。何階建てかは分かりませんでしたが、長さは宿舎よりも短かったようです。
そして、その校舎に隣接しているのが↓この建物。
築80年の便所です。80年間も風雨に耐えてきたわけですから、このくらいの変化はそりゃあるでしょーよ。
ところが、中はそうでもないのです。
↑結構きれいだと思いません? 「使用禁止」と書かないと使ってしまう人がいるんでしょーかねぇ。。
そんなことを思いつつ、裏に回ると・・↓
用をたせるもんなら、たしてみろっ!・・って感じでした。。
う〜む、さすが80年。。やはりこの数字は重い。
↓これが、宿舎と便所をつなぐ渡り廊下です。
重みがビンビン伝わってきますね。
さて、中も外もくまなく見て回りましたが、その中で何気に私の気を引いたものがあります。
↓これです。
建物が「覗いてくれ〜、覗いてくれ〜」と語りかけてくるのを感じます。
ひょっとして、とてつもない発見があるかもしれない・・・そんな妄想にかられ覗いてみました。
すると↓これが。
初めは、柱かなと思ったんですが違いますね。単なるつっかえ棒みたいです。
どうも建築後に応急的に足されたもののようです。
何十年もこうやって床を支えてきたのでしょう。私を呼んだのはこのつっかえ棒たちだったようです。よく頑張ったね!
よくよく考えれば、これだけ老朽化しているにも関わらず、この建物たちは風雨だけではなく、地震にだって耐えてきたんですね。
東日本大震災の時、この辺りは震度5強でした。
よく倒壊しなかったもんです。元々が頑丈にできてたんでしょうか。
さて、これだけの資料を無料で見学できるのは、実にありがたい限りなのですが、これを提供してくださってる方々がいます。
特定非営利活動法人・旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会です。ホームページはこちら→http://www.okegawa-hiko.jp/
保存要望の署名もこの会が行なったものです。
現地では数人が分かれて、細かく解説をしてくださっていました。
この場で感謝の意を表しつつ、レポートを終わります。
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