★★ 目次INDEXはこちらです。 ★★
     【アップ情報】 旧陸軍桶川飛行学校(2)(12.5)
     【アップ情報】 旧陸軍桶川飛行学校(1)(11.30)
     【アップ情報】 千葉県栄町探訪(4)(10.29)
     【アップ情報】 千葉県栄町探訪(3)(10.27)
     【アップ情報】 千葉県栄町探訪(2)(10.25)
     【アップ情報】 千葉県栄町探訪(1)(10.24)

北陸ツーレポ(25)小矢部市2013年08月29日

さて、石川県での使命を果たしたので、次の目的地・福井県に向かおうと思いましたが、
まだ午後4時なので、急がずに快適に走れそうな県道を選んでゆったり南下することにします。

何げに走らせていると、金沢市のお隣、小矢部市へ入りました。
金沢市のお隣ですが、小矢部市は富山県なんですね。。
つまり県庁所在地である金沢市は、富山県と接しているということになります。
県庁所在地が他県と接しているのは他にもあって、山形市・仙台市・京都市・大津市・佐賀市・福岡市がそうです。
なーんだ、特に珍しくもありませんなぁ。。

この小矢部市では気になる標識が何度か目に入りました。
これです↓

歴史国道ですって。しかもたった700m先。
これは行かねばなりますまい。

で、標識のとおりに走りましたが、それらしき風情がどこにも見当たりません。
間違えたかと思って、引き返して再度走ってみますが、はやりそれらしきものはない
いったいこれはどういうことだ?
標識には道の駅とは書いてないものの、パーキングがあるようなので、そこへ行ってみました。


観光案内所のようですが、後で調べてみると道の駅だそうです。
客は一人もいませんでした。。
義仲公戦勝の源」って、パッと見、意味がわかりませんね。

ここから少し離れた倶利伽羅 (くりから) というところで、木曽義仲が平家を打ち破った戦場があるようです。
標識には「源平の郷」と書いてありましたが、と言ってしまっていいものかな? 戦場ですぜ。

ちなみに木曽義仲は、本名が源義仲です。文字通り源氏一族ですね。
源頼朝・義経兄弟のいとこにあたる人です。
1183年5月の倶利伽羅峠の戦いの後、一気に京都まで侵攻して、平家を追い出して都を手中に納めます。
でもその後がちょいと強引でした。
京都の治安維持に失敗したくせに、天皇継承に介入したりして朝廷の反感を買ってます。
翌年1月に、天皇に自分を大将軍に任命させ、軍事上の頂点に立ったものの、その6日後に源頼朝が派遣した鎌倉軍に敗れて全滅です。なんともあっけない天下でした。

義仲が任命された将軍職は大将軍というものでしたが、その後、源頼朝が鎌倉幕府を開くときに得た職位は大将軍でした。
征東大将軍は縁起が悪いという朝廷の判断だったようで、義仲の朝廷からの嫌われ具合がよくわかります。
これより以降、征東大将軍という職位は全く使われなくなります。

そんな木曽義仲ですが、この案内所にはこんな↓ポスターが張ってありました。

NHK大河ドラマ放映実現に向けての署名活動をしていました。。
いやそれは別にいいんですけど、気になったのが文中の次の一節です。

「木曽義仲は、現代に生きる人々に勇気と希望を与える一つの象徴となるものであります。」

う〜ん......歴史物語としては面白いと思うんですけど、勇気と希望は......与えないんじゃないかな.......
いや、そもそもね、木曽義仲はここで戦ったというだけで、北陸の人じゃないんですぜ。



ここは護国八幡宮に隣接していて、手前には木曽義仲の立派な銅像がありました。

参拝していこうかと思いましたが、この↓階段を見て諦めました。。

モーゼ登山でエネルギーを消耗してしまって、とても昇り降りできましぇん。。


さて、そもそもここへ寄ったきっかけは「歴史国道」が目的でした。
管理人とおぼしきおっちゃんに訪ねてみると、ここを起点にして古い街並みが続いていたんだそうです。昔は
今はすっかり様変わりしてしまったと嘆いておられました。

↓これが歴史国道の実態です。

これじゃ、素通りしてしまうはずですわ。。
古くなれば新しくする。至極真っ当な話です。様変わりしてしまったことは仕方がないと思います。
しかしね、あの標識はどう考えても間違っとるやろっ!

おっちゃんとはその後もしばらく立ち話をしてたんですが、今夜から大雨らしいよと教えてくれました。
うっかりして天気のことを忘れてた。。
確認すると、確かに今夜から北陸地方が大雨の予報になっています。

かなり達成感を感じていましたし、福井県は次の機会に回すことにして、これで北陸ツーリングを切り上げることにしました。

と言っても、ここからどこへ向かうかが問題です。
夜までに北陸を脱出しなければなりません。

そこで思いついたのが、実家・長野です。
結構な距離がありますが、高速道を飛ばして、一気に長野まで行くことにしました。

午後5時半に小矢部ICから北陸道に乗り、長野の実家に着いたのは午後9時45分でした。

実質、北陸ツーリングは終了ということになりますが、次回は長野の実家近辺を紹介したいと思います。

(この日の走行距離:375km)

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村