★★ 目次INDEXはこちらです。 ★★
【アップ情報】 旧陸軍桶川飛行学校(2)(12.5)
【アップ情報】 旧陸軍桶川飛行学校(1)(11.30)
【アップ情報】 千葉県栄町探訪(4)(10.29)
【アップ情報】 千葉県栄町探訪(3)(10.27)
【アップ情報】 千葉県栄町探訪(2)(10.25)
【アップ情報】 千葉県栄町探訪(1)(10.24)
【アップ情報】 旧陸軍桶川飛行学校(2)(12.5)
【アップ情報】 旧陸軍桶川飛行学校(1)(11.30)
【アップ情報】 千葉県栄町探訪(4)(10.29)
【アップ情報】 千葉県栄町探訪(3)(10.27)
【アップ情報】 千葉県栄町探訪(2)(10.25)
【アップ情報】 千葉県栄町探訪(1)(10.24)
中部ツーリング(7)名古屋 ― 2014年08月31日
2014年8月31日(日)
三日目です。
↓改めて見ると、都会の健康ランドですが、平屋建てでしたね。。
三日目です。
↓改めて見ると、都会の健康ランドですが、平屋建てでしたね。。
さて、今日は名古屋から出発です。GWの出雲大社からの流れで熱田神宮へ真っ先に向かいました。
位置は↓こうなってます。
午前9時過ぎに熱田神宮(東門)に到着。意外にも駐車場は無料でした。
熱田神宮は三種の神器の一つ、「草薙の剣」が納められているところです。
出雲でスサノオがヤマタノオロチを倒した時、オロチの尾から出てきた剣です。
他の二つは、勾玉が皇居に、鏡が伊勢の神宮にあるそうです。
神話時代から現代まで連続している日本史の素晴らしさを実感します。
↓これが正門(南門)。
質素な入り口ですね。この時間だと観光客も少ないので、なおさら質素感を強く感じます。
↓参道には熱田神宮の歴史がパネル展示されてました。
去年(平成25年)が、草薙の剣を祀ってから1900年目だったそうです。
草薙の剣は、スサノオから天照大御神へ献上され、天孫降臨の時、瓊々杵尊(ニニギノミコト)に手渡されます。
その後、歴代天皇の元に置かれますが、第12代景行天皇の御子・大和武尊(ヤマトタケルノミコト)が東日本を平定する際に使われます。
大和武尊は帰路の途中、今の三重県亀山市で亡くなりますが、妻の宮簀媛命(ミヤスヒメノミコト)が熱田に剣を祀ったのが熱田神宮の始まりです。これが1901年前の出来事というわけですね。
こうしてパネル展示して勉強させていただけるのは、とてもありがたいです。
勉強は後からでもできますが、やはり現地で勉強できると観光気分が全く違いますから。
↓拝殿です。この奥の本殿に草薙の剣があるんでしょうね。
この拝殿の手前にあるのが、↓これです。
信長塀です。織田信長が桶狭間の戦いの前に必勝祈願し、歴史的勝利を収めた後にお礼として奉納したものです。写真には入りませんでしたが、ほんとはもっと長い塀です。
まぁ、信長にとっては神様のおかげということなんでしょうけど、負けた今川義元にとっては迷惑な話ですよねぇ。。
この信長塀、日本三大土塀の一つなんだそうです。まさか土塀にまで私の好きな日本三大◯◯が存在するとは。。
ちなみに後の二つは、兵庫県西宮神社と京都三十三間堂だそうです。
さて、熱田神宮を訪れた後は、とりあえず名古屋城を目指しました。ただ、あまりにも広くて時間がかかりそうなので、遠くから城を眺めるだけで終わります。↓
初めて知りましたが、隣接する愛知県庁↓は、名古屋城をデザインしとるんですね。。。
つーか、この地域の行政の中枢なんですから、これを名古屋城と称しても間違いではないような気がしますが。。。
名古屋市から国道22号を北上しますが、途中で面白いものを見かけました。
これ↓
三輪タクシーです。東南アジアで走ってるやつですね。たぶんタイのトゥクトゥクではないかと思います。(2929はトゥクトゥクをモジってるのではないかと。。)
道交法上、いいのかな?と思いつつも、トゥクトゥクの前に出て、信号待ちの時に後ろを向いて写真撮影を手で合図したら快くオッケーしてくれました。
この時、後ろに女性客が二人乗車していて、運転手合わせて計3人で手を振ってくれたのですが、その前にシャッターを押してしまいました。。
さて、国道22号を北上して、一宮インターから名神高速道に乗ります。時刻は午前11時でした。
目指すは滋賀県彦根市です。
次回は彦根市のレポートをお届けします。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://matsutake.asablo.jp/blog/2014/08/31/7440113/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。