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北陸ツーレポ(22)金沢城2013年08月29日

さて、やはり金沢と言えば兼六園でございます。
私は特に庭園には興味はないのですが、日本三大庭園ですからやはりここは押さえておきたいところ。
私は、三大○○というフレーズにはとっても弱いのです。。
ちなみに三大庭園は、水戸偕楽園金沢兼六園岡山後楽園です。
残るは岡山だけとなりましたが、はてさていつ行けることやら。。


本来は心が落ち着くべき場所なんですが、猛暑の中をひたすら歩かねばならない状況下では落ち着けるはずもありません。
↓こんな風情のある風景にも心が安らぐことはありませんでした。。


↓この池は整備中で、水が抜かれておりました。湖底に溜まった泥を取り除くためです。

こういう作業があって名園は維持されている、ということに気付かされます。
名園というのは、手間暇かけとるんですね。。
庭園の美しさより、こんなところに目が行く自分が時に悲しくなります。。


↓兼六園と金沢城は橋一本で繋がってます。橋の渡ると石川門。

城のように見えるのは、石川門の櫓です。決して天守ではありません。
金沢城は前田利家が築城しましたが、元々ここには寺院があって、加賀一向一揆の拠点にもなったそうです。
明治時代になって全国で廃城になった城はたくさんありますが、
この金沢城は残され、日本帝国陸軍師団の司令部が置かれました。
戦後は金沢大学のキャンパスになり、1995年から金沢城趾公園として整備されます。

中はとにかく広大です。ここ↓は三の丸跡。武家屋敷が並んでたところです。

↓ここは二の丸跡

二の丸、三の丸は広場として整備されています。
では、金沢城の天守があった本丸跡はどうなっているかというと。。

なぜか広場ではなく、林に様変わりしておりました。。利家公もびっくり。
天守があった面影など微塵も残っておりません。↓


↓唯一、ここが本丸跡であることを示す立て札だけがポツンとあるだけでした。

城として始まったこの地は、陸軍の司令部として活用され、大学のキャンパスとして活用され、
公園として活用され、と、その時代に合うように有効利用されてきたため、
城趾としての思い入れはそれほどないのかもしれないな...などと邪推してしまうのでした。
しかし、それなら司令部跡とか大学本部跡とかも残していただきたかった。
この地の歴史の一部がきれいに消し去られている気がいたしました。

--

金沢城は石垣の宝庫です。金沢城内の散策コースとして石垣巡りコースがあります。
それに従って、石垣をみていきました。

↓これは標準的に見られる石垣です。「野面(のづら)積み」といいます。

大小入り交じって、「とにかく積みました」的な感じが漂います。
それでも角だけは、↓このようにピシッと整えられております。

こういうのも石垣作りのノウハウの一つなのかもしれません。

↓これは不揃いながらも、隙間なく積まれた石垣。「打ち込みハギ」という技法です。

石を削って面出ししないと、こんなにきれいには積めません。

最も手間がかかってるのが、↓これ。

切り込みハギ」と呼ばれます。門の土台部分は、ほとんどがこういう技法が使われてます。
出入り口にはやはり気を使ってたようですね。

天守がないのは非常に残念ですが、当時の金沢城が如何に立派だったのが想像できます。


さて、次は金沢市街から離れ、湯桶温泉へ向かいます。

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