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中部ツーリング(5)浜松基地2014年08月30日

大崩海岸が先に進めなかったために、静岡まで戻って、静岡ICから東名高速を西へ急ぎます。
目指すは、浜松です。

浜松は、日本の4大バイクメーカーのうち、HONDAYAMAHASUZUKIのオートバイ事業の創業の地です。
(KAWASAKIは兵庫県明石市。)
観光スポットとしては、HONDAだと「本田宗一郎ものづくり伝承館」、 YAMAHAは「ヤマハ発動機コミュニケーションプラザ」、SUZUKIはスズキ (株)の本社と「スズキ歴史館」があります。
当然初めはそれらを見て回ることを考えていましたが、すべてを回るのは時間的にとても無理。
よって、今回はすべてを見送り、まったく別のところを目指しました。

それは、浜松西ICを下りてすぐ近くにある↓ここです。

航空自衛隊浜松基地内にある、浜松広報館「エアーパーク」
航空自衛隊の広報館はここだけです。その他、陸上自衛隊は広報センターが埼玉県朝霞市(東京都練馬区にもまたがってます)に、海上自衛隊は資料館が長崎県佐世保市と広島県呉市にあります。朝霞の陸自は行ったことがありますが、空自と海自も昔からすごく行きたかったのです。

しかし到着は午後3時10分。閉館は午後4時なので、たった50分しかありません。

館内に入る前にいきなり目を引くのが↓これです。

地対空誘導弾・ナイキJ。旧ソ連の爆撃機を標的とした地対空ミサイルです。米軍のナイキ・ハーキュリーズを原型に国内でライセンス生産されたものです。
1970年から導入され、1996年で運用終了。現在はパトリオットミサイルに交代しています。
ナイキといってもナイキシューズとは全く無関係です。でもギリシャ神話の勝利の女神「NIKE」に由来するので、両方とも語源は一緒。ナイキシューズは1968年、ナイキミサイルは1953年開発なので、ミサイルの方が先です。
ちなみにハーキュリーズはヘラクレスの英語読み。他にも米軍にはナイキ・ゼウスというミサイルもありました。
神話の主人公を兵器の名前に使っていますが、よく考えりゃビミョーなところです。
日本神話だと、「スサノオ」とか「アマテラス」とか「タヂカラオ」が兵器名に使われているようなもんです。
かなり抵抗がありますね。。これは現在も信仰が続いている日本神話と、信仰が途絶えたギリシャ神話の差なんでしょう。

さて館内に入ります。もちろん無料です。民主党政権の時に「事業仕分け」ってやつで2010年から1年ほど有料でしたが、また無料に戻ってます。広報活動なのに有料化なんて、あの政権の犯した数多の勘違いの一つでしょうね。。

F-2戦闘機。実物ではなく模型です。

パトリオット地対空ミサイル

公式にはトリオットと呼ぶそうで、ここでもそう書いてあります。なぜか報道ではトリオットと呼ばれるので、そっちが一般化してますね。
語源は、Phased Array Tracking Radar Intercept On Targetの略なんだそうです。和訳すると......いや、やめとこう。。
ナイキミサイルの後継として現在運用中です。


3階建ての展示資料館の隣には展示格納庫があり、渡り廊下でつながっています。

↓これが展示格納庫。

おおお~、すっげーぇぇぇっー!!

↓さらに。

おおお~、飛んでるよー、飛んでるよーぅぅぅ!!

そうです。ゼロ戦も飛んでますっ!

グアム島で発見された本物です。「永遠のゼロ」を読んだし、映画も観ましたから、とっても愛着を感じます。
1944年に名古屋で製造されたものだそうですから、かなり後期のものですね。
グアム飛行場に不時着した機で、終戦後もそのまま放置され、発見されたのは1963年だそうです。
搭乗員は尾崎伸也大尉と判明していますが、残念ながらこの時英霊となられました。

1964年に日本に運ばれて復元され、全国各地で展示公開されました。←私が生まれた年。
ゼロ戦の展示施設は全国で9ヶ所ありますが、飛行姿勢での展示はここだけです。
 ※復元記録はこちら。→【零式艦上戦闘機五二型甲43-188復元記録


↓これはT-2高等練習機(ブルーインパルス仕様)。

ひと目でブルーインパルスだー!ってわかりますね。
このデザインは、一般公募で女子高生のが採用されたそうです。
あぁ、自分も座ってみたいけど.....そんな時間はないよー。

ブルーインパルスは空自のアクロバットチームの愛称ですが、1960年にこの浜松基地で誕生しました。この時はまだT-2は存在してなかったので、航空自衛隊発足当時の主力戦闘機でアメリカから供与されたF-86Fが使われてました。

↓これがF-86F(ブルーインパルス仕様)。

展示格納庫の外側にドドーンと展示してあります。

T-2高等練習機は、国産初の超音速航空機です。三菱重工業製で初飛行は1971年
この頃の高等飛行訓練は、実際の戦闘機を使わずに練習機で行っていました。だから練習機は必ず二人乗りになってます。
後ろに教官が乗るんでしょうね。現在は実際の戦闘機を用いているので高等練習機はありません。T-2の後継はT-4になりますが、これは中等練習機という位置づけです。ブルーインパルスは、このT-2からホームを岩手県松島基地に移しました。

↓あぁ、これも座ってみたかった。。F-1戦闘機です。

国産のT-2練習機をベースにした純国産戦闘機です。だからルックスがT-2とほとんど同じ。でも一人乗りになってますね。
元々、T-2練習機は、F-1戦闘機に転用することを前提として開発されたのです。
主な想定任務は対艦攻撃です。戦闘機どおしの空中戦は苦手みたい。。
1977年から運用され、2006年に全機が退役し、現在はF-2戦闘機が後継を担っています。

展示資料館と展示格納庫の間には、↓これが展示されていました。

F-104J要撃機。要撃機なので対空戦闘用です。これは米・ロッキード社が開発したもの。日本での運用開始は1963年。F-1より古いです。
F15Jの配備が進んで、1986年には全機退役となりました。
で、これは無人標的仕様に改良されたものです。運用終了した機体を無人で飛ばせるようにして、撃墜訓練に使うんですね。
無人化された機体は全部で14機あったそうです。その中でこいつは撃墜を免れたんでしょう、きっと。
言ってみりゃ、こいつは究極のラジコン飛行機ということになりますねぇ。。

もっともっと長居したかったんですが、閉館案内が流れてきました。。
仕方なくエアーパークを去ることにし、次へ向かいます。
空自さん、ばっちり広報してもらいましたよ、ありがとう!


コメント

_ いし ― 2014年09月28日 15:10

ブルーインパルスが一般公募デザインとは知りませんでした・・・空飛ぶ0戦。こんな3枚のプロペラで飛んでいたとは信じられません。攻撃型だけで、身を守る鉄板もないんだなぁ。戦争時代の搭乗員皆様に敬礼!!

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