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山陰ツーレポ(22)出雲大社(2) ― 2014年05月04日
出雲大社ではどこも参拝の行列ができてたので、そこには並びませんでした。
ただ、列から外れたところでちゃんと手を合わせておきました。
さて、出雲大社のすぐ隣に古代出雲歴史博物館があります。(大人610円)
↓やや近代的な香りのする建物です。
ただ、列から外れたところでちゃんと手を合わせておきました。
さて、出雲大社のすぐ隣に古代出雲歴史博物館があります。(大人610円)
↓やや近代的な香りのする建物です。
中に入ると↓こんな感じ。
ロビーの中央に展示されているのは↓これです。
2000年に出雲大社境内で発掘された高層神殿の柱です。宇豆柱と呼ばれます。
これを再現したものが、境内にあった三本柱です。
計3ヶ所から発見されたそうですが、残念ながら太古のものではなく鎌倉時代のものだそうです。
で、↓これが高層神殿の模型です。
ダイコク様が葦原中国(あしはらのなかつくに)、つまり日本の国づくりを終え、それを天照大御神に譲るときの条件がこの高層神殿でした。
59年後の遷宮の時にはぜひ再建していただきたいものです。参拝するの大変そうですけど。。
↓これは出雲市内にある荒神谷遺跡から出土した銅剣。複製は36本だけで後はすべて本物です。
1984年に358本の銅剣が一挙に出土しました。
当時、日本全国で合計300本程度しかなかった銅剣が、一カ所から358本も出てきたのです。
これで出雲の地に強力な軍事国家が存在したことが裏付けられたことになります。
↓これは銅鐸ですね。これも本物です。
竹田恒泰氏の説によると、大和朝廷は現在まで祭祀で銅鐸は使わないので、出雲国は大和国とは別の文化を持っていたと考えられるそうです。
この他にも銅矛も展示されていましたが、これらはすべて国宝に指定されています。
重要文化財どころじゃないです。この博物館は何げに国宝だらけなのでありました。
この博物館ではもう一つ楽しい物が展示されていました。
それが↓これ。
古事記です。もちろん写本です。今風に言えば、712年に初版が出て以来の大ベストセラー作品。
まだカナ文字がなかったのでカナ部分は一音一字漢字をあててあるようです。これを35年かけて解読したのが本居宣長というわけですか。。同時に写本が多くて内容がビミョーに違ってたものを一本化してくれました。
よーく見ると、大国主神とか葦原中国とか高天原の文字があることぐらいは私ごときでもわかります。
編纂者の太安万侶が実在したかどうかわからなかったため、かつては古事記偽物説があったそうですが、1979年に奈良市内の茶畑から太安万侶の墓が見つかったことから、古事記編纂は史実として確定しました。
その隣に並んでたのが↓これ。
日本書紀。720年完成。古事記と違って、漢文で書かれています。
同じ時期に作られた歴史書が違う文体で書かれているのは、古事記が国内向け、日本書紀が国外向けだからだそうです。
これは今も内容がビミョーに違う写本が複数存在します。
そして最後は↓これ。
出雲国風土記です。733年完成。
風土記は奈良時代に日本全国で作られましたが、完全な形で残っているのは、この出雲国風土記だけです。
さて、博物館を満喫し終わると、もう11時半頃になっていました。
大社前の通りは↓この通り。
まだまだ続々と参拝客がやってきます。さすが出雲大社。
次にJR出雲市駅へ行ってみました。
駅舎もいい味出してました。
この後は、古事記に出てくるスポットを巡っていきます。
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