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山陰ツーレポ(13)京丹後市 (2) ― 2014年05月02日
京丹後市立・古代の里資料館を出ると、すぐ近くに竹野神社があります。← “たかの” と読みます。
写真の左側には、齋宮神社と書いてあります。← “いつきのみや” と読みます。
これは竹野神社内にある摂社です。神社の境内に付属している小さな社を “摂社” というそうですが、入り口を見る限り本宮より目立ってます。
これ↓が竹野神社。
ここからは神話の世界になりますが、丹後王国の重要性が垣間見えるのでご紹介します。
竹野神社のご祭神は、伊勢神宮と同じ天照大御神です。
創建したのは、竹野媛命(たかのひめのみこと)で、摂社の齋宮神社のご祭神がこの竹野媛命です。
竹野媛命はこの地の豪族の娘ですが、なんと第9代・開化天皇の妃(側妻)となります。
さらに開化天皇と竹野媛命のひ孫に当たる日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)が第11代垂仁天皇の后(本妻)です。
垂仁天皇と日葉酢媛命の息子が第12代・景行天皇、その息子が大和武尊(やまとたけるのみこと)、
さらにその息子が第14代・仲哀天皇です。
私が幼少期を過ごしたのが、この仲哀天皇稜の南側にある町です。
↓これが仲哀天皇稜。大阪府藤井寺市。
今は違う人が住んでいるので、指し示すことができないのが残念ですが、中学までこの辺りに住んでました。
なんかこう書いてくると、自分が天皇の流れをくむかのような錯覚に陥りますが、住んでただけです。←当たり前や。
ま、そういうことで、この丹後が天皇家ゆかりの地であることがわかります。
天皇家に嫁がせることができるほどの力があった豪族だったという証拠ですね。
さて、この竹野神社から前方後円墳・神明山古墳に通じる道があります。
これが神明山古墳のてっぺんです。
古墳に来てはみたものの、周りの山々と同化していて普通の丘にしか感じられませんでした。。。
ただ、前方後円墳であることは間違いなさそうです。
多くの天皇陵と同じ形式の古墳が存在するということが、丹後王国最大の実証でありましょう。
ここから、名勝・立岩が見えました。↓
今回は訪れませんでしたが、この辺りには羽衣天女伝説もあります。
羽衣天女伝説はここだけではなく、全国いろんなところにあるらしいです。
ただし、丹後の場合は、天に戻れなかった天女が最終的に豊受大神として奈具神社に祀られています。
↓奈具神社はここ。
この豊受大神が、第21代・雄略天皇の時、神々の食物を司る神として伊勢神宮に迎えられます。
伊勢神宮は内宮と外宮からなりますが、外宮のご祭神がこの豊受大神です。
つまり、伊勢神宮外宮のルーツは丹後です。
なんともこの丹後は日本史のど真ん中に密接に絡んでいる、すんごいところなのでした。
丹後王国は、かつての地方政権として確実に存在したという実感が得られました。
さて、これで丹後半島周回を終え、次回は兵庫県に入ります。
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