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山陰ツーレポ(11)伊根町 ― 2014年05月02日
ちょっと切ないかもしれない浦嶋神社
友人から丹後王国の話を聞いたので、その真偽を確かめるべく、丹後半島周回コースに入ります。
雲一つない青空の下、海岸沿いを快適に走ります。
友人から丹後王国の話を聞いたので、その真偽を確かめるべく、丹後半島周回コースに入ります。
雲一つない青空の下、海岸沿いを快適に走ります。
うーん、やっぱり海岸沿いって気持ちいいです。天気さえ良ければ。
周回コースを約半分ほど走ってきたぐらいの伊根町というところに浦嶋という地名を見つけます。
そしてその後すぐに出現したのが↓これです。
浦嶋神社。。
浦嶋と聞けば、もう浦島太郎しか思いつきません。
いきなりの遭遇でしたけど、素通りする気にもなれず、とりあえず寄ってみて確かめることにしました。
確かに、奥の方に神社らしきものが見えます。ちょこっと人の姿も見えますね。
神社の手前には、↓こんな像がありました。
これはもう間違いなく、あの浦島太郎ですよ!
なんとこんなところに浦島太郎ゆかりの地があったなんて!
こういう発見は大変うれしゅうございます。
↓これが浦嶋神社です。外見はフツーですね。。。←何を期待している?
まずは説明書きを読まねばなりません。
ちゃんと、ご祭神は浦嶋子(浦嶋太郎)と書いてあります。当たりでしたね。
これによると、浦島太郎は天皇家の血筋で、かつ当地の領主だったと書いてあります。
マジっすか? 今までフツーの漁師さんだと思ってました。。
しかも、竜宮へ行ったのが、478年7月7日と特定されてます。七夕の日だったのか!
ただ竜宮ではなく、常世の国と書いてあります。帰ってきたのが 825年だって。。実に詳細ですな。。
おまけに浦島太郎は、復帰後、筒川大明神という立派な別名を授かったとも書いてあります。
そして最後に御宝物のところに玉手箱と書いてあるじゃありませんか。
なんとなんと、玉手箱は実在しているらしいですっ! いやー、驚いた〜
ただ、御宝物が三つあるうちの二つは重要文化財に指定されてるのに、玉手箱だけ指定されてないんです。。
これって、行政サイドが “怪しい” と思ってるっつーことなんでしょうね。。。
でも真偽の程はともかくとして、御宝物としての玉手箱が存在することは事実なのです。
キチョーな情報を与えてくれたこの案内板ですが、汚いこと、汚いこと。。
ところどころ字がよく読めませんぜ。
それもそのはずで、実はこんな↓ところにあったのでした。。
ちょっとね、神社全体がなんとなく浦島太郎のネームバリューに不相応な寂れっぷりなんですよ。
平成37年には1200年祭が予定されてるそうですが。。ちょっと悲しい実態でございますね。。
本殿の中を見てみると、亀の甲羅が飾ってあります。
浦嶋神社ですからこれは必須ですよね。
でもこんな意味不明なもの↓もありました。
なぜか、牛若丸と弁慶の絵が飾ってありました。。説明は一切なし。訳わからん。
まぁしかし、予想もしてなかった意外なスポットに遭遇できて、うれしゅうございます。
帰りがけに先ほどの像を激写してみました。
↓浦島太郎。
昔話では、どれを読んでも漁師と書いてありますが、実際には天皇家の血をひく、この地の領主様です。
亀を助けたばっかりに、母親の死に目にも会えなかったホントは可哀想な方です。。
↓竜宮城の乙姫様。
亀を助けたばっかりに、母親の死に目にも会えなかったホントは可哀想な方です。。
↓竜宮城の乙姫様。
一応、自分の中では乙姫様は美人のはずだったんですが。。
どうしても妖怪の類にしか見えません。。
これを見てると、浦島太郎を可哀想な立場に追い込んだ邪悪なヤツに思えてきます。
この手の芸術品には詳しくはありませんが、あえて素人的に評価させていただきますと、
どう見ても手を抜いてるようにしか見えません。はい。
この浦嶋神社の位置は↓ここです。
どうしても妖怪の類にしか見えません。。
これを見てると、浦島太郎を可哀想な立場に追い込んだ邪悪なヤツに思えてきます。
この手の芸術品には詳しくはありませんが、あえて素人的に評価させていただきますと、
どう見ても手を抜いてるようにしか見えません。はい。
この浦嶋神社の位置は↓ここです。
13年後の1200年祭が盛大に行われますことを願ってやみません。
その時は、もうちょっと設備投資もしてくださいね〜
さて、次回は丹後王国の真偽についてレポートします。
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