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山陰ツーレポ(9)舞鶴 (1)2014年05月02日

2014年5月2日(金)

休憩室の長椅子で横になって、iPadで映画を見ながら過ごしているうちに自然に寝てしまい、
目が覚めたら午前4時でした。まだ辺りは暗かったんですが、先客はすでに出発したようでいなくなっていました。

この時間、外はかなり寒いです。ここが空調完備でほんと助かりました。

↓若狭湾での朝日です。(夕日じゃありませんぜ。)

どうやら今日は天気の心配は一切しなくてよさそうです。

高浜を早めに出発し、西へ向かいます。
10kmほど行くと福井県と京都府の県境です。そこから10km行くと舞鶴市です。
舞鶴市は当初まったく予定に入れていませんでしたが、「舞鶴引揚記念公園」 の標識を見つけたので、ちょっと寄って行くことにしました。

公園内に記念館がありますが、まだ開館時間ではありません。

舞鶴が戦後の引揚港だったことは、一般知識として知っていました。
日本海側で唯一の軍港だったからなのでしょう。その程度しか知りませんでした。
しかし、ここを訪れたお陰で他にもいろんなことを知るようになります。

記念館の横手を上って行くと展望公園↑に着きます。
ここから引揚港が見えるそうです。
しかし、見下ろした光景は↓これでした。

どこにも港の形跡がありません。
公園内には当時の引き揚げの様子が書かれた絵がありました。

やはり、ここで間違いないようです。
私は、ここで引き揚げの実態を知ることになります。

ここには大型船が横付けできる埠頭があったわけではなく、桟橋が二本あっただけでした。
一本は100mあったようですので、相当長い桟橋です。
大型船は舞鶴港に入港した後、接岸することなく、そこから小船に乗り換えて桟橋まで運んでいたんですね。

今ではその桟橋もなくなっており、跡地には工場が建ち、面影は残っていません。
しかし、有志の方々が隅っこに短いながらも桟橋を復元したようです。

ちょっと調べたところによると、どうも「引き揚げ」というのは民間人の場合に使う言葉で、
軍人の場合は「復員」というようです。
復員については、終戦後迅速に進められ、2年足らずで完了していますが、
民間人の引き揚げについては、その後13年も続き、最後まで引き揚げが続いたのがここ舞鶴です。
しかも引き揚げは港の施設を使うのではなく、埠頭から離れた場所で行われたのでした。

↓引揚桟橋はこんな隅っこなのです。

軍人(正確には軍が解体されているので元軍人)と民間人の帰国には相当な差があったようです。
それでも66万人の民間人が舞鶴に引き揚げています。
一番多かったのは博多で140万人、佐世保も同じくらい。舞鶴は三番目の多さ。
全国で引揚者総数は、630万人になるそうで、なんとこれは人類史上最大の人員移動なのだそうです。知らなかった。。

公園内には、「岸壁の母」の歌碑がありました。

さて、展望公園までの坂道には、植樹された木の一本一本に寄贈者を示す杭が立っています。

何げに見ていきました。



元野戦高射砲第九十大隊第一中隊。。。なんか物々しい感じがしますね。




これはシベリアで抑留された方々なのでしょう。
201という数字には意味があります。


こっちは同じシベリアですが、テルマ地区と書いてあります。
同じテルマでも名称はバラバラなんですね。。
202はおそらく収容所の番号です。当時のソ連では労働キャンプと呼ばれていました。

テルマがどの辺りにあるのか調べたんですが、はっきりとはわかりませんでした。
シベリア抑留者の手記などから推測するに、↓おそらくこの辺ではないかと。



2010年のアメリカ映画で「ウェイバック」というシベリア収容所からの脱出ものがあります。

実話を元にした映画で、舞台は1941年のシベリアです。映画では第150収容所となっていました。
1941年ですから、当時はまだ日本人抑留者はおらず、ポーランド人、ラトビア人、ロシア人の反体制主義者が収容されていました。
収容所は↓こんな感じ。

おそらくテルマもほぼ同じ感じだったのではないでしょうか。
この映画を観ると、いかにシベリアでの強制労働がどんなものだったのか、そしてそれがどれほど過酷なものだったのかがわかります。


さて続けてみていきます。

一番アピール度の高かったのは↓これ。

パダルヴィハはバイカル湖付近にある地名のようです。ここにも収容所があったのでしょう。

わけわからんのが↓これ。

なぜに中国人民解放軍?

悲しかったのが↓これ。

さっぱりわからない。。関係者が見たら嘆くでしょうね。。

そしてなぜか↓これが。。

いろんなところで何げに目にしますが、まさかこんなところにまでとは。

たまたま立ち寄った舞鶴引揚公園でしたが、寄ってよかったと思います。
次回は別の舞鶴ネタです。

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