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山陰ツーレポ(12)京丹後市 (1)2014年05月02日

丹後半島の約半分は京丹後市です。
複雑な思いを胸に浦嶋神社を後にすると、ほどなく京丹後市に入り、すぐに丹後松島があります。

↓丹後松島

文字通り、日本三景の一つ、宮城・松島に景観が似てるのでこう呼ばれるそうです。
松島には2011年に行ってきましたが、確かに似てるといえば似てる。ただ本家の方がはるかに規模がでかいです。



さて、さらに進むと、いよいよ丹後王国伝説の中心へと到達します。
丹後王国が単なる伝説か否か、それを知るのにうってつけなのが、京丹後市立・古代の里資料館入館料300円。

中に入ると、丹後王国が伝説かどうかではなく、丹後王国が存在したという前提で様々な展示物が見られます。

↓こういうのとか、

↓こういうの。

時代としては、弥生時代後期から古墳時代までの話です。ざっくり2,000年ぐらい前。
出土品からみて、この地に豪族がいたことは間違いありません。
大和朝廷が完成する以前には、日本全土にこのような地方豪族が存在したようですが、
この地の豪族は、出雲と同じようにちょっと別格かもしれないと思わせる証拠がいくつもありました。

その一つがこれ↓です。

日本最古の銅鏡です(右側)邪馬台国・卑弥呼が魏からもらったうちの一枚だそうです。西暦235年のこと。
邪馬台国は有力豪族が集まった連合王国だと考えられていますので、丹後はそのうちの一つだと思われます。

この豪族たちが競うかのように古墳を作っていったので、この後、時代は弥生時代から古墳時代へと呼び方が変わっていきます。
この丹後でも例にもれず、神明山古墳という前方後円墳があります。
資料館にあった模型で位置関係を示すと、↓こんな感じ。

大阪には前方後円墳はたくさんありますが、地方ではほんとに少ないです。
去年、北陸で前方後墳はみかけましたが、前方後墳は地方では見たことがありません。
前方後円墳の存在が、この地の豪族が一味違う何よりの証拠。
資料館のすぐ近くにあるようなので、後ほど行ってみることにします。



資料館の外にでると、敷地内に弥生時代の住居が再現されていました。

東北で縄文遺跡をたくさん見てきた感覚で言えば、この辺の土地も縄文集落があったことは間違いありません。
それが稲作を取り入れて、弥生集落へと変わっていったように思えます。
逆に、これまで見てきた縄文集落は、なぜ縄文のまま終わってしまったのかが気になりますが、
思うに、水田に必須のを調達できる土地だったかどうかではないでしょうか。

出土品や古墳などから推測するしかない時代ですから、かえって私の得意な妄想が全開です。
次回は、さらに丹後王国の深いところをご紹介します。

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