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山陰ツーレポ(5)福井市2014年05月01日

2014年5月1日(木)

今回の山陰ツーリングは、昨年の北陸ツーリングで断念した福井県を訪れることも目的の一つにしておりました。
その福井で一泊した翌日、朝9時に外を見ると、まだ雨が降っていました。。
まだ山陰にたどり着かないうちから、度重なる雨で朝っぱらから気分が重いです。

ただ、さすがにお天道さまもこんな私を哀れに感じたのか、午前10時には雨はあがりました。
空模様はまだ怪しいままですが、ジョイフル福井を出発します。


まずは、お約束で福井駅へ向かいます。

北陸新幹線開業を間近にした富山駅がまだ完成していないというのに、
なんと福井駅は2025年開業にも関わらず、すでに新幹線規格で完成しておりました。
なんとも気の早いこと。。

↓この反対側に行ってみますと。。

新幹線の高架橋が駅の外側にスタンバイしていました。。
せっかく新しくしたのに、また福井駅は改築しないといけなくなりそうですね。。


さて、福井駅でタウンマップをゲットし、わずかな時間ですが福井市観光に出かけます。

↓北庄(きたのしょう)城址。

福井市は織田信長の有力家臣の一人、柴田勝家の拠点でした。
ここにその居城・北庄城があったそうですが、1583年、賤ヶ岳の戦いで焼失しています。
現在では、発掘された石垣がほんのわずかあるだけです。
敷地内には柴田神社がありますが、これは明治時代に創建されたもの。

北庄城については、当時を偲ぶものはほとんど残っていないに等しいんですが、ここが福井市の原点です。
それは現在の福井市の市章に反映していて、福井の「井」と北庄の「北」を合わせたデザインになってます。
↓これ。

四角い野球ボールにも見えないこともないですが。。 ←こら。

校外学習の小学生たちが大勢いましたが、よそ者の私に「こんにちは」と挨拶をしてくれる子がたくさんいて感激しました。
たったその程度のことですが、福井市の好感度アップです。

北庄城天守の模型の前には、平山郁夫画伯が書いた碑文がありました。

説明書きによると、平山郁夫画伯は柴田勝家の末裔なんだそうです。


↓次に福井城址。

中に見える建物は福井県庁です。県会議事堂福井県警もこの中にあるようです。
現代においても福井城址が県政の中枢なわけですね。
こんな城址は全国でも珍しいんじゃないでしょうか。


福井城は、徳川家康の次男・結城秀康が築城しました。
勝家の北庄城を埋め立てて、2km四方に及ぶ全く新しい北庄城が作られたようです。
勝家の北庄城が跡形もなくなっているのは、そのためなんですね。
ちなみに北庄城と福井城の位置関係は↓こうなってます。

北庄という名称は、福井藩三代目松平忠昌が「北」という字が敗北につながるという理由で変更したため、
この地から名実ともに「北庄」が消滅してしまうことになりました。
それが現代になって、市章のデザインとして復活してるんですから、粋な話ですねぇ。

福井」という名称は、城内にあった「福の井」という井戸に由来すると一般に言われているようですが、
福井の前に「福居」と呼ばれていたこともあるので、ちょっと説としては怪しいかもしれません。

さて、福井市街観光はこの二つだけで終わりにします。
この後は、前から気になっていた遺跡があるので、急いでそこへ向かいます。それはまた次回。

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