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北陸ツーレポ(11)滑川市2013年08月26日

さて、せっかく富山市入りしたんですが、どうしても行かねばならない場所があります。
それは富山市のお隣、滑川(なめりかわ)市にありました。


どうしても行かねばならない場所。
それは↓これ

「てんじんじそいちじんぐう」と読みます。
今年のGWに青森で訪れた、↓このスポットに関係があります。

青森県新郷町のキリストの墓
詳細は、青森ツーレポ(14)新郷村(1),(2)を御覧くださいませ。
http://matsutake.asablo.jp/blog/2013/05/04/7312178

この魅惑的なスポットは「竹内古文書」の記述を根拠としておりました。
その竹内古文書の出所が、この天神人祖一神宮らしいのです。
キリストの墓も元をたどれば、ここに行き着くことになります。

わりとどこにでもあるヘーボンな風景の中に “それ” はあるようです。


あまり怖いものがない私でありますが。。。
その場所に接近するにつれて、得体の知れぬキンチョー感に包まれます。

↓ついに見えてきました。。


↓看板が解読不可能なまでに放置状態。。。説明する気あるのか?


では、ネットから拝借してきた説明文を代わりにご紹介します。
読者の皆様、心の準備をお願いします。


「今から数十万年前の超古代の日本列島は世界の政治・文化の中心地であった。
そして、今の富山県・神通川の御皇城山を中心に、飛弾・乗鞍にかけた一帯が神話で云うところの高天原であり、
すべての人類の元宮として建立された「天神人祖一神宮」という壮大なパンテオンがあった。
世界の人々は、こぞって、この元宮にお参りに来たという。


私に多くの感動を与えてくれた縄文文化が約5千年前
すでに縄文フェチを自認している私にとっては、一行目で早くもアウト宣告なわけですが、
これはまだまだ可愛い方です。次第にシャレにならない内容になっていきます。それはまた後日。

この「御皇城山(おみじんやま)」というのは、富山市内の富山大学近くに実在します。
実はここへ来る前に探検してきました。

↑この道の突き当たりが「御皇城山」です。山というより丘という感じ。
でも標識に書いてあるように行き止まりでした。
突き当たりまで行っても、神社らしきものが見当たらないので諦めました。。

帰ってから調べてみると、どうも細い参道があって、参道を上るとちっこい祠(ほこら)があるらしいです。
壮大なパンテオンがあったようには見えませんけどねぇ。。。。
ま、数十万年前の話なんでやむなしか。。。
ちなみに、現生人類であるホモ・サピエンス誕生は約25万年前と言われておりまする。


ここ滑川市の「天神人祖一神宮」はちゃんと標識や看板まであるわけですから、宗教活動の中心はここなのでしょう。
御皇城山と神宮が離れている理由はわかりません。

とにかく敷地内に入ってみます。↓

↑ちゃんと鳥居があります。やっぱり神社であることは間違いないらしい。
右側には真っ白に塗られた意味不明なバスがあります。

神宮にしては妙に狭い。
一言で表現すれば、殺風景というんでしょうか。
なんか自分が不法侵入を犯しているような気分になってきました。。
神宮なんだから、勝手に入っていいんですよねぇ?

↓世にも珍しい、金属製の鳥居です。

でろーんと垂れ下がったしめ縄がオシャレです。
普通は鳥居をくぐると本殿までの参道が続いてるものですが、ここではそんな常識は通用しません。
鳥居の向こうはカースペースです。本殿らしきものもありません。
鳥居をくぐると違う世界に行ってしまいそうな気がするので、これ以上近付かないことにします。

左の建物は断言できませんが、集会所のようなものではないでしょうか。
かつて世界の政治・文化の中心だったんですから、今で言う “国連本部ビル” みたいなもんですかね。。
そう仮定すれば、これ↓がその国連本部ビルの玄関ということになります。

一応、しめ縄らしきものがあり、ギリギリ宗教色を醸し出しているようですが。。

入ってきた方向にカメラを向けます。↓

神宮の全景はこれで全てです。
これ以上の行動は不可能でした。
どう考えても、一般人が参拝できるようなつくりにはなっていません。


しかし何にせよ、ここが竹内古文書の出所らしいのです。。
竹内古文書を世に知らしめたのは、富山県生まれの竹内巨麿(きよまろ)です。
この人が皇祖皇大神宮・天津教の開祖となり(1910年)、茨城県北茨城市に遷宮してしまったので、
元々あった天神人祖一神宮がこんな寂しい状態になったんだろうと推察します。
現在は竹内巨麿の四男が管長をされているんだとか。。

ちなみに、滑川駅でゲットしたタウンマップには、この神宮は載っていませんいわゆる無視ですな。。

竹内古文書の影響は、石川県にある「アレ」で再度目にすることになるのでまたその時にレポートします。
立ち去る時、塩で身を清めたい気分にさせられるヒジョーに珍しい神宮でございました。
自分のかいた汗に含まれる塩分が清めの塩の代わりになるんだと、自分を納得させ、また富山市に戻ります。


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