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中部ツーリング(27)龍岡城址 ― 2014年09月03日
■■ 日本にたった二つしかない五稜郭が信州に ■■
信州に入ってから、松本城・上田城・小諸城と巡ってきました。
今回はそのラストです。
ほとんど知られていませんが、小諸市のお隣の佐久市にも城趾があります。
それが龍岡城趾です。
位置関係は↓こうなってます。
信州に入ってから、松本城・上田城・小諸城と巡ってきました。
今回はそのラストです。
ほとんど知られていませんが、小諸市のお隣の佐久市にも城趾があります。
それが龍岡城趾です。
位置関係は↓こうなってます。
上田城・小諸城とほぼ等間隔に位置しています。
ただし時代的には両者と全く違ってます。
上田城は1583年、小諸城は1554年。龍岡城は1867年でおよそ300年ずれてます。
1867年というと大政奉還の前年じゃないですか。。
築城したのは、松平乗謨(のりかた)。三河の奥殿(おくとの)藩の藩主です。
奥殿藩は今の静岡県岡崎市辺りにあったそうです。
石高わずか1万6千石の弱小藩でしたが、信州佐久に分領地を持っていたんですね。
幕末の動乱を避けるため分領地に拠点を移して築城したのが、この龍岡城です。
藩庁も移したので、分領ではなく龍岡藩に格上げとなりました。
そんなわけで幕末の築城ですから、他の城と違った特徴があります。
それが、五稜郭だという点。五稜郭と言えば、函館しか知られていませんが、実は日本には五稜郭が二つあって、
函館ともう一つがこの龍岡なのです。
このことは20年以上前から知っていたので、訪れるのは実は今回が三回目になります。
ちなみに函館五稜郭が完成したのは、龍岡城の前年の1866年。ほとんど同時期です。
ただ、大きさは函館の方が二倍の面積があります。
さて、龍岡城の所在地は↓ここ。
県道沿いにあるように見えますが、県道からは行けません。
県道から一車線の細い道を入っていかないと辿り着けません。
細い道を進むと↓こういうのが現れます。
たぶん、ここに城門があったんだと思います。
つーことは、ここから城内ということになりますが、周りは田んぼばかりでとても城内という感じはありません。
↓少し進むと、駐車場がありました。
これ、昔はなかったんです。整備されたみたいですね。休憩室兼資料室のような建物もありましたが、すでに午後6時を過ぎていたので閉館していました。もちろん他に観光客はナシ。
さて、上空から見ます。↓
赤丸●が城門の位置、青丸●が駐車場の位置です。
ほんとに田んぼと畑に囲まれてますなぁ。。
よく見ると、堀がない部分もありますね。実は未完成なのです。やっぱり1万6千石では無理でしたかねぇ。。
ちなみに函館の五稜郭を築城したのは、藩ではなく江戸幕府です。あ、やっぱりね。。という感じ。
↓これが入り口。出入り口は他にもありますが、これが正門(大手門)です。
↓中は小学校になってます。
では、龍岡城の一番の見所、堀を見ていきます。
↓こういう感じ。
↓お、なんか五稜郭っぽいなって感じしますね。五稜郭っぽいんじゃなくて五稜郭なんですけど。。
↓なんか堀が狭すぎる気もしますけどね。。防衛に役立つんでしょうか?
↓この先、堀がなくなってます。。。
↓花が植えられておりました。平和です。
堀の名残は残ってますから、きっと廃城後に埋められてしまったんでしょう。
↓さらに進むと、堀の名残すらなくなってしまいます。この辺が未完成部分なんでしょうね。
↓ここも。
さすがに17世紀の城とは違って、石垣はきれいな「切り込みはぎ」ですね。
↓案内板を見ると、どのくらい未完成なのかがわかります。
設計は確かに五稜郭ですけど、結局のところ、四稜郭分しか完成してないことがわかります。
きれいに完成していれば、龍岡城はもっとメジャーになってたでしょうに。。
幕府が倒れる寸前でしたから、止むなしってとこでしょうか。。
未完成部分は私有地になっているため、結局のところ龍岡城を一周して見ることは不可能です。
函館五稜郭は規模もでかいし、何と言っても戊辰戦争の最後の決戦地ですから、それと比較すれば、未完成だし戦闘はなかったしで、歴史的価値に雲泥の差があるわけですが、それでも存在自体は知っておいてもらいたいなと、元長野県民としては思うのでした。
さて、これで広範囲に渡った今回のツーリングは終了です。
ざっくりとルートを示すと、↓こうなります。
いやー、かなり走ってますなぁ・・
今回の総走行距離は1,483kmでした!
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