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京都観光(3)二条城2 ― 2014年11月22日
二条城を徳川葵を探してもう一周する
二条城を一周し、修学旅行で訪れた高校時代とは確実に深みが違う観光ができました。
ただ、バッグが重いのと気温が高かったのと、何よりも一日中歩いてたのでかなりヘトヘトになって東大手門まで戻ってきました。
東大手門の手前には番所がありましたが、そこで何げに目にして “気になってしまったもの” がありました。
↓これです。
二条城を一周し、修学旅行で訪れた高校時代とは確実に深みが違う観光ができました。
ただ、バッグが重いのと気温が高かったのと、何よりも一日中歩いてたのでかなりヘトヘトになって東大手門まで戻ってきました。
東大手門の手前には番所がありましたが、そこで何げに目にして “気になってしまったもの” がありました。
↓これです。
徳川家の紋章、三つ葉葵です。
ずーっと徳川家の所有だったんですから三つ葉葵があって当たり前なんですが、唐門と二の丸御殿では光り輝く菊花紋章を目にしてたので、この小さな三つ葉葵が妙に心に引っかかってしまったのでした。
↓ちなみに番所のどこの部分かというと。。
左端の丸の部分です。ついでですから、右側の東大手門はどうなってるのか見てみました。
↓ちゃんとありました。三つ葉葵。
こうなると、今まで見てきたところはどうなってるのか気になります。
おそらく、ほとんどのところで三つ葉葵が残ってて、目に付くところだけ菊花紋章に変わってるんでしょう。
それは今確認しないと。。もうここへは来ることはないかもしれませんから。。
かなり体力的につらかったんですが、好奇心には勝てず、もう一周してくることにしました。
↓まずは唐門。菊花紋章がたくさんついてます。
↓上の赤丸の部分を確認してみると....
三つ葉葵が外されていました。その下には光り輝く菊花紋章が。。
↓これは隣接している壁の方。ここも外されています。
↓この壁のもう一方も確認してみましたが、かなり強引に外したことが伺えます。
つまり、菊花紋章に替えるのではなく、三つ葉葵を取り外してそのまま放置だったのです。
これではまるで三つ葉葵が “目障りなもの” のような扱いではないですか?
外したまんまの方が体裁悪いと思うんですけどねぇ。。
さて中に入って、また二の丸御殿と再会です。↓
まさに二条離宮の本体ですから、菊花紋章がひときわ目立ちます。三つ葉葵などどこにもありません。
ところが、この御殿の裏側を見てみると。。↓
一番上に三つ葉葵が残っておりました!
どうしたんでしょう。外し忘れたのかな?
↓次は桃山門。重要文化財です。
一周目にはスルーしてしまった門です。
↓上の赤丸の部分です。
三つ葉葵ここにあり! ご健在でいらっしゃいました。
なんか三つ葉葵探しゲームみたいになってきました。。
三つ葉葵を見つけると、内心喜びを感じている自分がいます。
桃山門を抜けると、左側に本丸櫓門が見えてきます。
↓ここでも三つ葉葵は健在でした!
本丸御殿は移築ですから、調べても意味がないので、内堀を渡らずそのまま直進します。
↓鳴子門です。これも重要文化財です。
桃山門で健在だったんですから、おそらくこの門でも健在のはずです。
↓しかし・・
外されておりました。。。
本丸櫓門を挟んで、南の門が健在で、北の門が外されてる。
なんでやねんっ!
この一貫性のなさはなんでしょう?
そこで「使う建物からは三つ葉葵は外して、使わない建物は放置した」という仮説を立ててみました。
それが正しければ、二条離宮での朝廷の人たちの行動範囲がわかります。
ここからはその仮説の検証です。
↓東南隅櫓です。
朝廷にとって櫓は無用のものなので、きっと三つ葉葵は放置のはずです。
↓当たりでした。健在でいらっしゃいます。
ちなみに西南隅櫓の方も健在でした。
さて、そうやって調べあげた結果が↓これです。
◯が三つ葉葵が健在なところ。×が外されてるか、菊花紋章に替わってるところです。
これを見ると、どうも仮説は立証できそうもないです。。相変わらず一貫性のなさを感じます。
本丸の北と南に位置する北中仕切門と南中仕切門に三つ葉葵が残っていれば、「朝廷は東半分しか使っていなかった」という推測も可能ですが、外されていたのでその推測は成り立ちませんね。
朝廷からすれば徳川家の所有ではなくなったんですから、三つ葉葵を外す理由はあります。でも、あえて残しておく理由がありません。あるとしたら、「面倒くさい」「忘れてた」ってなもんでしょうか。。「そんな小さなことは気にしない」ってことはありませんね、外すところは外してるんですから。
とりあえずまとめると、
「二条城内には三つ葉葵が外されてるところと残されてるところがあるが、残し方には一貫性はない。」
というのが調査の結論であります。
まぁ、そういうことで好奇心に駆られて、二条城を二周してしまったわけですが、なかなか楽しいひと時を過ごせました。
なお、去年(平成25年)に京都市が唐門の修理工事のレポートを出していました。
二条城二の丸御殿唐門保存修理工事完成について(PDF) ー 菊紋の下に隠された葵の御紋 ―
このレポートによると、唐門の菊花紋章を外すと下に三つ葉葵があったそうです。
↓こんなふうに。(レポートより引用)
取り替えたんではなくて、上からかぶせただけだったようです。思うに、二の丸御殿の菊花紋章も同じで、下には三つ葉葵が隠されているのでしょうね。。
城から宮殿に転用されたのは、この二条城と江戸城だけかと思いますが、こういう視点で観るのも趣き深いと感じた次第であります。
以上、京都観光のレポートでした。
ちなみに、帰りは京都駅まで地下鉄で戻りました。とても歩く気にはなれませんでした。。。とほほ。。
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