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中部ツーリング(19)岐阜市22014年09月02日

金華山ロープウェーで山頂に着きました。
岐阜城に辿り着く前に、展望レストランがあったので、そこで食事を取ることにしました。

↓展望レストランから岐阜市内を眺めながら食事です。

↓これが展望レストランから見える風景。

長良川が見えます。赤丸の辺りが古い町並みが残る河原町です。この後、行くことになります。
架かってる橋は長良橋ですが、この辺りが「鵜飼い」で有名なところです。

↓さて、いよいよ岐阜城天守へ向かいます。

ここはまだ勾配が緩やかですが。。。

↓そのうち、勾配がキツくなってきます。

せっかくロープウェー使ったのに、やっぱ少しは登山しなくちゃいかんわけですか。。
安土城での苦労がフラッシュバックしてきます。

↓さぁ、岐阜城天守が見えてきました!

青い空に天守が映えます。
この天守と展望レストランの位置関係ですが、後で撮影しておきました。

↓このようになってます。

結構離れてるんですよね。。この間に、さっきの勾配があったりするわけです。
中間にある施設はNHKの中継所です。

こんなところに築かれた岐阜城はさぞ堅牢な城塞だったんでしょう。
この城を築いた斎藤道三の時代、1547年織田信秀(信長の父)が攻め入りましたが、麓で撃退されていますし、斎藤龍興(道三の孫)の時代、1561年にも織田信長が城攻めに失敗しています。織田家が父子二代で落とせなかった城なんですね。
ちなみにこの時代は、岐阜という名称はまだなく、稲葉山城と呼ばれていました。

ところが、この稲葉山城がいともあっさりと落ちてしまったことがあります。
1564年、斎藤家家臣の竹中半兵衛が謀反を起こして、たった一日で 城を占領してしまいました。半兵衛は別に城主になりたかったわけではなく、城主の斎藤龍興の不甲斐なさに決起したようで、半年後には龍興に城を返還してい ます。外から攻めるには難しい城ですけど、城主の統治能力に重大な欠陥があったわけです。まぁ当時、斎藤龍興は16歳だったということもあるんでしょうけど。。
おそらく、この事件で信長は内側から崩していく戦略に変えたんでしょう。1567年に再度城攻めをした時には、斎藤家の有力家臣であった稲葉良通、安藤守就、氏家直元を寝返らせて見事に稲葉山城攻略に成功します。 そして稲葉山城は岐阜城と改名されました。

さて、岐阜城に改名してからも何度か落城してるんですが、その話は後回しにして、天守のレポートを続けます。

↓これが天守入り口。

入り口は透明のビニールシートで仕切られていますが、これは中は空調が効いているからです。
入場料は大人200円ですが、売り場は中にありました。

↓ビニールをくぐると、目の前にいきなりこの階段が現れます。

え? これ、城?

忘れてました。。この天守は昭和31年に再建されたバリバリの鉄筋コンクリート製なのでした。。

↓入り口付近の風景。

はい! 公衆電話完備で~す。とっても近代化してま~す!

↓これが最上階。

やたらと目立つ「非常口」の標識。建築基準法を遵守してま〜す。
最上階ともなると、別に標識なくってもわかるっつーのに。。
しかも、非常口の下の扉は「閉鎖中」って張り紙してあるし。。

↓天守最上階からの風景。

がっつり安全柵が設置されておりました。。
まぁ安全への配慮はありがたいのですが、望遠鏡の視界をさえぎってませんかね? そういう配慮はないのね。。。

とにかく内部は城を感じさせるような雰囲気ではなく、かといって岐阜城に関連する資料の類は別の資料館にあるので建物内は正直、面白くはありませんでした



さて、天守から展望レストランまでの間にとんでもないものを見つけました。
↓これです。

なんと標高329mの金華山山頂に井戸がありました。
と言っても、地下水を汲み上げる井戸ではありません。雨水を貯めておく井戸です。
山頂にあって、一見、堅牢な要塞のように見える岐阜城ですが、水の確保が難しいという欠点があったのでした。
羽柴秀吉が活躍する頃には、水攻めや兵糧攻めなどの持久戦が多くなってきますが、この岐阜城も包囲されて持久戦になれば降伏するしかなかったのです。
どちらかと言えば、戦いのためではなく、城主の威厳を見せつけるための城だったのでしょう。

そう言えば、安土城も水の確保はどうしてたんだろう。。。


さて、天守は再建でしたが、石垣は当時のものです。ここでも石垣に目が行きました。

↓完全な野面積みです。

金華山は山全体が岩で出来ているようで、山肌にでかい岩石が露出しておりました。
おそらく石はすべて現地調達かと思われます。



この旅ではいろんな城を巡ってきましたが、この岐阜城は余りにも趣きが違いすぎました
金華山を下山した後、もっと本格的な城を堪能したいという欲求に駆られ、旅を継続することにしたのであります。

次のルートを考えつつ、次回は金華山近くの河原町を訪れます。


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