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中部ツーリング(17)瑞穂市2014年09月02日

2014年9月2日(火)

この旅も5日目を迎えました。そろそろ終盤です。

昨日は、初めて24時間営業のネットカフェで過ごしました。
平日でしたが、店内は結構賑わってました。

↓出発は8時半過ぎ。

おおまかな予定では、岐阜観光で旅を終わらせることにしていましたが、その前に行ってみたいところができました。
岐阜市のお隣の瑞穂市です。

実は、昨夜コンビニの駐車場で地元のおばちゃんから瑞穂市に「元伊勢」と呼ばれる神社があると聞いたのです。
で、ネットカフェで「天神神社」という神社の存在を知ったのでした。

↓場所はここです。

教えてもらわなかったら絶対に訪れることもなかっただろう地味〜なところにあります。

↓これが天神神社。

参道と市道が隣り合ってる妙な配置になってます。特に駐車場はないので、ここにバイクを停めて歩いてみます。

一旦、途切れた後、また参道が続きます。

かなり小さな神社ですね。
入り口には、「史跡伊久良河宮跡」と書いてあります。

さて、この天神神社の正体ですが、案内板には↓このように記載されています。

伊勢の神宮には、天照大神が祀られているわけですが、初めから伊勢と決まっていたわけではありませんでした。
第10代・崇神天皇までは、天皇と共に皇居に祀られていましたが、第11代・垂仁天皇の時にそれは畏れ多いということで、天照大神を別に祀る場所を全国各地で探しました。探す役目を務めたのが、垂仁天皇の娘の倭姫命(やまとひめのみこと)です。ただ探したというのではなく、ご神体である八咫鏡(やたかがみ)を運びながらの旅でした。つまり、天照大神のご神体は、伊勢に祀られる以前に候補地であったいくつかの場所に一時的に祀られていたわけです。よって、その場所は「元伊勢」と呼ばれているんだそうです。

日本書紀を見てみると、倭姫命は、現在の地名で奈良県宇陀市近江岐阜県瑞穂市伊勢を巡ったと書いてあります。ほんとはもっとたくさん巡ったらしいんですが、日本書紀ではこの4ヶ所だけが書かれています。天照大神をお祀りしている間の名称が伊久良河宮なんでしょう。この天神神社はものすごい由緒あるところだったのです。(最終的にはここは落選し、伊勢が選ばれたわけですが。。)

現在の天神神社のご祭神は高御産巣日神(たかみむすひのかみ)ということになってますね。。この神は天照大神よりもっと前、イザナギ・イザナミよりもさらにさかのぼって、天地創造期に二番目に現れた神です。

↓これが拝殿のようです。

かなりシンプルなつくりで、神楽殿のようにも見えますが、ちょうど工事中だったので本来の姿なのかどうかは不明です。

↓これが本殿のようですね。宮大工さんがお仕事中でした。

↓本殿の裏にあるのが、御船代石と呼ばれる場所。

ここが天照大神をお祀りした場所のようです。
伊勢に決まったのは、天照大神が「ここがいい!」って自分でお決めになったと日本書紀には書かれています。
...ということは、瑞穂市のこの場所は「こんなとこイヤ!」って言われたのかも知れませんね。。。


ほんとにいいものを見させていただきました。教えてくれたおばちゃんに感謝です。


しかし、ここ瑞穂市では神社の他にもう一つ予期せぬオマケが付いてきたのです。

それが↓これ。

「富有柿発祥の地」と書いてあります。小さい頃、よく富有柿を食べた記憶があります。今でも甘柿で一番生産量が多い品種だそうです。その富有柿の原木があったのでした。

↓場所は天神神社の隣。さっきの写真にも写ってました。

あまりにもさりげなさすぎて、うっかり見落とすところでした。よく気付けたなぁと思います。

↓立派な石碑もありました。

品種自体は、江戸時代からこの地にあったそうですが、富有柿と命名し、全国規模で普及させたのが福島才治という人。
1939年(明治31年)のことでした。

ちなみに富有柿は、学名でも Diospyros kaki  Fuyuと呼ぶそうです。世界で通用する名前なんですね。


岐阜市へ行く前にちょっと寄り道した甲斐がありました。
昨日と違って天気もいいですし、いい気分でスタートできた5日目でした。

次回は岐阜城のレポートです。


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